小説6

 寒いのは嫌だな。冬は嫌いだ。イライラする。僕の人生には癒しがない。猫を飼いたい。僕の両親は猫が嫌いだ。どうしてだろう。あんなにかわいいのに。ともかく、ひきこもりの身分では猫を飼う権利はない。自分の世話だってろくにできないんだから。どうしようもないや。
 とにかく僕は誰かと話したい気分だった。布団の中でスマホの画面が光る。友達はいないので、インターネットの掲示板を開いた。ざっと画面を見たけど心を通わせる会話ができそうにないので閉じた。掲示板にそういう会話を求めること事態、間違っているのだ。僕はやっぱりおかしい。
 掲示板には不満や憤りのメッセージが溢れている。僕は無感情だ。僕には不満がない。それは裕福だからだ。両親には感謝をしている。自分のようなダメな存在が息子でごめんなさい。
 深い電子の海を潜り込んで僕がたどり着いた場所はチャットサイトだった。アプリではダメだ。無欲で無感情なチャットサイト。人の少ない古びたサイト。「オールチャット」。まだあったんだな、というのが率直な感想。人がいない。ルームは空室だらけだ。10代専用の部屋に入った。
 五分経過。誰もこない。やっぱりもう誰もここにはいないのだろうかと思う。全盛期は昼間でも不登校の子達で溢れていた。小学五年生の頃。あの頃はまだ僕は不登校じゃなかった。休みがちの生徒だった。だからいい気なもんだった。俺はこいつらと違うって考えていた。最低な荒しだった。学校で上手くできないストレスを発散していた。当時、僕は学校で嫌なことをされてたんだ。
 十分経過。独り言を書き込む。いじめられていた。今思うと。教室で服を脱がされて引きずられたり、変なあだ名をつけられたりした。筆記用具を窓から落とされたり、教科書に変な落書きをされた。それでも僕はいつも笑っていた。
 一番辛かった体験。変な女の子に抱きつかれたり体を触られたりした。誰にも言えなかった。先生にも親にも。親友には話したんだ。そしたら笑われたよ。僕は深く傷ついた。誰にも心を開けなくなった。
 僕は死にたいと願う。生まれてこなければよかったと思う。
 十五分経過。誰も見てないのに書き込みを続けた。無意味だ。僕の無意味な人生。誰も知らないクズの人生。希望を失った人生。終わらせるべき人生。
二十分経過。書き込み終了。もうやめよう。僕は決意をした。もういいや、もうどうでも。ごめんなさい、お父さん、お母さん。僕は新品の靴の紐を固く結んで家を出た。

小説5

 眠れない夜が続いた。どうしても眠れなくて、真夜中に飛び起きてノートパソコンの電源をオンにした。古いバラエティ番組を観る。有名人がやっているネットの番組を観る。少しだけ面白い。あくびが出たので寝られると思った。そしてまた布団に戻る。毛布にくるまる。だけど寝られない。アイドルの音楽を聴いた。少しだけ癒された。だが、心は静まらない。僕はスマートフォンで文章を書くことにした。それでも眠気は満たされなかった。
 僕は子供だ。父さんのようにビールを煽ることはできない。みんな寝静まった真夜中に、僕は部屋を出た。そうろと、一階に降りた。金色の豆電球が浮かぶ居間。冷蔵庫はその奥にある。冷蔵庫を開いた。ビールはあった。だけど、缶を奪う度胸はなかった。
 真夜中のテレビから流れるおとなしめの声が心地良い。元々、僕はテレビがあんまり好きじゃない。ドラマもバラエティーもつまらなく感じるんだ。特にバラエティタレントの愛想笑いの嘘臭さには吐き気がするよ。たまらないな。
だけど、深夜は別格だな。なぜだかわからないけど。なんか違うんだよ。空気、というかね。雰囲気に嘘臭さが少ないんだ。
「りょう、起きてたのか」
「お父さん、僕、眠れないんだ」
「そうか、そりゃ困ったな」
「うん。どうにかならないかな」
「布団に入ってればいつか眠れるだろう」
父さんは、大きなあくびをしながら僕にそう言った。
「昼間は何してるんだ?」
「寝てばっかりだよ」
「そうか。それが原因かもな」
父は僕に背中を向けた後、片手を挙げて居間をあとにした。
 朝が来た。朝が来ても憂鬱だ。瞼が重い。結局、昨日の晩はトータルで二時間程の睡眠だ。僕の方は慣れっこなんだが、それでも辛い気もする。どっちなんだろう。どうも最近は訳がわからないよ。混乱してるんだ。自分の感覚というものを見失ってる気がするよ。
 僕の意思とは関係なしに、朝は何度もやってきた。ひとりぼっちの朝。朝はみんな孤独だ。

母親に会う。挨拶をしよう。
「おはよう」
その一言が出てこない。無視をしたい訳じゃないけれど、結果的に無視してしまう。お母さんは不機嫌そうにドアを開けた。洗濯機のスイッチの音が鳴った。不機嫌なのは、僕のせいだ、きっと。
 父親は早くから仕事へ向かう支度をしている。僕は何もしていない。僕は居間に居心地の悪さを感じ部屋の中へ向かった。部屋の中で漫画を読む。そんなことすら煩わしくて、僕は布団の中へ潜り込んだ。

小説4

 夕方になり、喉が渇いたのでジュースを買いに外に出かけようと思った。外と言っても自販機は家からすぐのところにある。だけど足が動かないのだ。自分を嘆いた。もっと暗くなってからにしよう。そしたら出られるかもしれない。どうしてこんなに悩まなくてはいけないのだろう。たかがジュース一本買うだけで、苦しい。僕はダメだな。
 12月も学校には一度も行かなかった。冬休みの通知が僕に届いた。僕はプリントをじっと眺めた。そこには先生のメッセージが添えられていた。
「どう過ごしていますか。また会いに行きます」
 先生の言葉は暖かかった。小林先生はいい先生だ。それだけに僕の裏切り行為に与えられる罪悪感は大きい。悔しい。僕は学校に通い、普通の中学生として、みんなと同じように勉学や部活動に励みたかった。
 部活動。僕は以前バスケットボール部に所属していた。練習のキツさに堪えられなくて辞めたんだ。今は後悔している。部活動さえ続けていれば惨めな思いをすることはなかった。本当にそうか?そうじゃない。僕は学校も部活動も、みんなが普通にやってこなせることができないんだ。僕はおかしい。そう思うと、イライラした。持って行き場のない怒りは急速に肥大化し、僕の内にある拘束具を破壊した。
 気付いたら、部屋の中はむちゃくちゃだった。木でできた扉には大きな穴がひとつ。僕は顔を真っ赤にしながら、母親に向かって、なにやら言葉にならない声を泣きわめいている。とうとう、僕は狂ってしまったのだ。その日の夕日はとても綺麗でカーテンの隙間を通る光はみずみずしい赤だった。
 お母さんは僕を黙って抱き締めた。僕は小さな子供に戻ったような懐かしい気持ちを覚えた。ふと、僕は我に返った。
「ごめんなさい」
母に謝罪した。手に持ったカッターナイフを机の引き出しにそっとしまった。
「ごめんね」
僕は何度も母に謝った。声を出すと喉に変な感覚がある。見なくても涙で自分の瞼が腫れているのがわかる。
母の差し出したハンカチで涙で濡れた顔をきつく拭った。
 晩御飯は唐揚げだった。唐揚げは好きだ。たまたまだが、そんなことで嬉しくなる自分がおかしくて僕は笑った。
「唐揚げがそんなに嬉しいか?」
父は笑って僕に聞いた。
「うん」
父はビールをぐぐっと飲んだ。
「今日は忙しくてな。大変だったんだ」
父が仕事の話をするのは珍しい。だから僕はじっと父の話を聞いた。

小説3

 階段を降りる途中で女の子の声が聞こえた。聞き覚えのある声だ。一階に着いて驚いた。幼稚園の頃からの幼なじみの優ちゃんがいるのが見えた。俺は昨日の晩、風呂も入ってなくて汚ならしい格好だった。幼なじみとはいえ、同級生に、ましてや女子にこの姿を見られるのはとても恥ずかしい。
「りょう君、ひさしぶり」
「あ、久しぶり」
「一緒にごはん食べよう」
「うん」
ファストフードのポテトの匂いが部屋に充満にしていることに気づいた。久しぶりのハンバーガーだ。ハンバーガーは好きだったな。それと大好きだったコーラもある。
「りょう君、最近面白いことあった?」
「あー、えーと」
言葉に詰まる。こんな簡単な質問にすら答えられないなんて。僕はダメだな。
「聞いて!学校でさー」
優ちゃんは僕が不登校である事実を無いことのように喋り続けた。勿論、無神経という訳ではない。母親同士のテレビのニュースやアイドル歌手や俳優の話題にも優ちゃんは入っていった。
僕はほとんど黙っていたが時折突っ込んだりした。それで笑いもとった。みんなでする食事は楽しかった。
 優ちゃんのやってる携帯ゲームを教えてもらった。隣で画面を見ているだけだったが、楽しい。優ちゃんは男子のような距離感だ。そこは昔と変わらない。だけど雰囲気が少し大人びて女性らしくなっている。時おり、目が合うと照れてしまった。
「じゃあ、またね」
「うん」
「学校で待ってるから」
「……」
「なんで、黙るの!」
優ちゃんは目を細めて大袈裟に笑った。
「うん、明日、行く」
「明日日曜日!」
「そっか」
僕は頭をかいた。母親たちも笑った。
今日は、懐かしい感覚が思い起こされた1日だった。
「優ちゃん来てくれて良かったね」
「うん」
「また来るって言ってた」
「うん、優ちゃんは本当にいい子ね」
「そうだね」
「りょう、頭ボサボサ。お風呂入ってないでしょ」
「うん、まあ」
「入ってきなさい!」
「はい」
僕は風呂に浸かりながら、学校に行くことを空想した。久しぶりに行けばみんな本当に喜んでくれるだろうか。それとも、邪険な眼差しを向けられるだろうか。僕は怖い。学校は嫌いじゃない。勉強も運動もそれ自体は嫌いじゃない。だけど、教室が怖い。誰かの視線が怖い。こんな気持ちになるなんて、考えても見なかった。少し学校から離れるくらいなんとも無いと思ってた。それは大きな間違いだった。

小説2

 午後の夕陽が差し掛かる頃、クラスメイトの修司君が僕の家に訪れた。彼は封筒を僕に差し出すと、「みんな、待ってるからな」とぶっきらぼうに言って、去ってしまった。彼とは前まで仲が良かったんだ。どうして僕と修司君の間に溝が出来たのか。それは階級の差だ。彼は元々、明るくて社交的だ。勉強もできる。スポーツもできる。僕とは対照的な存在だ。それでも小学生の頃までは良かったんだ。
 最初出会ったのは、小学二年生の時だったな。彼の方から声をかけてくれたんだ。ひとりぼっちだった僕を遊びに誘ってくれた。TVゲームやカードゲームでよく遊んだよ、小学生の頃はね。楽しかったな。彼とあまり遊ばなくなった原因は、異性関係にある。彼はすごくモテるんだ。ルックスもいいしね。

 僕は彼が好きだった、とても。今でもいいヤツには違いないよ。ただ、彼といると惨めな気持ちになるんだ。だから、遊ぶのはやめたよ。彼の方も僕のようなうじうじした暗い奴と付き合うよりかは、彼と同じような女の子にモテる連中とつるむ方が気が楽なんだろうな。そういうことはわかるんだ、僕。
 僕は朝から晩までゲームをする生活を過ごしていた。同じモンスターを何体も倒しているとなんだか切ない気持ちになってくる。こんなことをしたって憂鬱なだけじゃないか。とうとうゲームも嫌いになってしまいそうだ。この頃は嫌いなものばかり増える。嫌になっちゃうよ。ゲームから一旦離れようと思った。

 だからといって、勉強をする気にはなれなかった。将来に希望を持つことは僕にとって難しかった。なにもかもしたくない。
 季節が冬になり塞ぎこむように部屋で過ごした。この頃は独り言も多い。ノートに文字を書き込んでみる。読み返すと誤字脱字だらけだ。
 今年ももう終わろうとしているのに、問題は山積みだ。放ったらかし冬休みの宿題。勉強机は埃まみれだ。ドア越しに母親の声が聞こえてくる。返事を返す気にもなれなかった。ひとりぼっちのこの部屋で僕は夢を見ることもなく眠りこけた。 

 カーテンの隙間から日差しが差し込んで不意に目が覚めた。雨が降りやむと少し気が楽だ。雨は嫌いだと思う。雨が好きな人なんているのだろうかと考える。きっといないだろうな、正直なところさ。 

 いい加減、勉強机の上の埃の山をどうにかしないといけないと感じた。埃を拭くぞうきんも何もないことに、仕方なしに飯時以外開かれることのない扉の鍵を開けた。

小説1

 僕は中学二年の男子だ。勉強はできないし、運動もできないし、ルックスも悪い。当然、女子にモテる訳がなく、それどころか避けられてばかりだ。女子は辛らつだ。厳しい視線に耐えられそうもない。

 このところ僕は学校をずっと欠席している。自意識過剰と言われるかもしれないが、他人の目が気になってしょうがないんだ。助けてくれ。どうしてこうなっちゃったんだろう。以前はこんなふうな気持ちになることは無かったんだ。ただ毎日が楽しく過ぎていった。それなのにいつの間にか外に一歩出ることすら怖くてしょうがないんだ。僕は不登校、ひきこもり、駄目人間だ。

 先生の勧めでカウンセリングを受ける羽目になった。父の運転する車に乗って都市部まで出た。車窓から見る立ち並ぶビルとか歩く人足の多さに緊張が走る。車のドアを開けたら、父が僕らに手を振る。「正直に話してこい」と父は言った。外の空気に触れると、僕はすぐに家に帰りたくなったよ。

 駅の中を母と歩いた。母は僕の手を引いた。恥ずかしいから「やめて」と言う。駅の中にあるエレベーターに乗ってビルの中へ入る。建物の中はすごく綺麗だ。その中を歩き進んだ。ようやくたどり着いたカウンセリングルームの待合室には誰もいなかったから安心した。待合室は狭い小部屋で長いソファーが3つあって、僕が座る向かいには本棚があった。子供向けの本が多いな。窓から覗ける景色にはやはりビルが立ち並んでいた。

 待ち時間は退屈だな。早めに来たから、その分退屈だ。頭を上げて目の先にある時計をじっと眺めた。待っている間、母とは一言も話さなかった。なにしろ話せる雰囲気じゃなかったからね。図書館の中みたいなんだ。
 カウンセラーは男性で、知的で優しそうな人だった。かっこよくて、俳優かモデルのようだ。はあ。僕は心の中でそっとため息をついた。こんな完璧そうな人に僕のようなダメ人間の気持ちがわかるだろうか。僕は初め不安だった。

 広々とした個室の中で僕は悩みをすべてぶちまけた。

他人の目が気になってしまうこと。
いじられキャラで本当は辛い思いをしてること。将来に希望が持てないということ。異性との関わりで悩んでいるということ、だけは言えなかった。

 家族以外の人と話すのは久しぶりだからすごく緊張した。最初は嫌だったけど、何故だかまた来たいと思った。「来てよかった」と去り際にカウンセラーの大橋さんに伝えた。大橋さんはにっこりと笑ってくれた。車の中で母に「来る前よりいい顔してる」と言われると、確かにそんな気がする。父も頷いた。